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| 連載 第2回 「ウチナースタイル」
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2005/10/10 |
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湿った、生暖かい朝の空気が部屋中に充満する。ヤールー(やもり)が張りついた窓を開け、スコールに濡れた植物のざわめきを感じるとき、改めて沖縄に住んでいることを実感した。
首里の高台にある新築アパート。少し変わった間取りの部屋からは、赤瓦の民家とそれを囲むヤシの木や月桃の葉がよく見えた。ほかにも巨大なバナナの木、パパイヤの木などが、隣接するコンクリート住宅の庭から垣間見える。
寝起きの悪い私だが、ここに来てからは目覚めがいい。東京にいた頃とは比べものにならないほど、沖縄の朝の空気は気持ちがよかった。今日も1日頑張ろう! 自然とそんな気分になる。 |
移住後、最初の1ヶ月は新都心(那覇中心部にある再開発都市)のウィークリーマンションを借りていた。荷物はすべて本土から運び込んでいたため、狭い室内には冷蔵庫、洗濯機、大きなダイニングテーブル、フトン、衣類や書籍の入ったダンボール箱であふれ返っていた。
仕事も決まってないのに、よくもまぁ大荷物を持って引越してきたものだと、一人途方に暮れることもしばしばあった。いつまでも貯金を切り崩すわけにいかず、まずは一刻も早く、仕事と住まいを探さねばならない。ハローワークと不動産屋に通う日々が始まった。 |
1週間ほど経ったある日、たまたま読んだ新聞に「新雑誌創刊」という記事があった。沖縄のスローな暮らしを提案する、移住希望者向けの全国誌と書いてある。さっそくコンビニへと走り、その雑誌を手にした。とにかくビジュアルがキレイ。洗練された大人向けの本という印象だった。パラパラめくった後に奥付を見ると、思いもよらず求人募集の広告が掲載されていた。那覇にある編集プロダクションが編集、企画営業、デザイン等のスタッフを募集していたのだ。
「これだ!」
天に感謝する気持ちですぐに履歴書メールを送信。面接の日を待つことになった。それにしても、これ以上望める仕事があるだろうか? 今までの経験が生かせる本職であるうえに、移住したての私に打ってつけの生活情報誌。それがこのタイミングで創刊されていたのだ。 |
2回の面接を経て、営業も編集も、その他すべての雑務もこなすという条件で採用された。広告の募集項目は、基本的に一人の人物が担当する意味だったらしい。正直、これらを全部こなすなんて絶対無理! そう思ったが、やるからには、腹を据えて頑張るしかない。
この会社には東京出身の社長と、名古屋出身の経理担当者の二人しかいなかった。取材などはフリーの外注スタッフに依頼し、ときにはデザインや写真撮影も同じ人が行うとのことだった。それぞれのプロがいて、分業制度が当たり前になっている都市部ではあり得ないことだろう。でも逆に、今までは他人の領域として立ち入ることのできなかった分野が試せるのである。
これをチャンスと受けとめ、前向きにトライしてみようと思った。
沖縄に移住して3週間目。パーフェクトすぎる仕事が決まったと同時に、南国ならではの朝の風景がたのしめる首里のアパートも決定。新しい生活が順調に滑り出した。 |
移住者でスローライフを送っている人を、全国の人たちに紹介する。つまり沖縄に住んだらこんなにゆったりと、豊かな毎日が過ごせますよ、と移住を促す趣旨の雑誌をつくっているのに、当の私はスローとはほど遠い「ファストライフ」を送っていた。食事をとる間も眠る間もない、めまぐるしいほどの忙しさ。なのに、不思議と心は満たされ、幸せをかみしめていた。
以下は当時の心境を書き、本土の友人へ宛てたメールである。
――沖縄に越してきて、早くも1ヶ月以上が経過しました。
「落ち着いたら連絡を…」と思っていたものの、来る日も来る日も仕事に追われ、さらに今後ますます忙しくなりそうなかんじで…。何の連絡もせずに心配をかけてしまいました、ごめんなさいっ。
とりあえず、慣れないバイクに乗りながら、毎日元気に頑張っています。
仕事は2月から編集プロダクションに勤務しています。
東京の出版社が発行する季刊誌の制作をしており、私のような沖縄移住を希望する人にむけたライフスタイルマガジンです。
一人で広告営業と進行管理、もちろん企画・編集・執筆もするのでかなりハードです。とはいえ、好きな場所で好きな仕事ができる喜びと充実感は、今まで決して味わえなかったものです。
勇気を出して、沖縄に来てよかった! 心からそう思っています。 |
全部ができて一人前。沖縄の出版業界では、これが常識のようだった。スペシャリストよりもゼネラリストが重んじられる。完璧さは求められないが、担当するすべてに関わることが求められた。沖縄で言うところのテーゲーさ(おおざっぱさ)も、こういう事情であれば許されるのだろう。
一緒に組むことが多かった移住歴15年のフリーカメラマンが、私に言ってくれたコトバを思い出す。
「東京の感覚でいたら、沖縄ではやっていけないよ。沖縄の人は、仕事のクオリティじゃなくて、その人自身(人格)を見てるから。信用できる人にはとことん、よくしてくれる。仕事以外のことでも相談にのってくれたり、あれこれ世話してくれることも多い。付き合いや人間関係、それを何よりも大切にしてるから。いくら自分の仕事"だけ"をきちんとこなしていても、人との関係をおろそかにしてたら、ここではやっていけないよ」 |
あくせく働いてたくさんのお金を稼ぐよりも、ほどほどのところで仕事を終える。仕事の後は家族や親戚と過ごしたり、地域の祭りに参加したり、歌ったり、笑ったり、たのしい酒をみんなで飲んだり…。これが沖縄の人にとって大切な、日常に欠かせないことなのだ。
たとえば、沖縄人気質を象徴したこんな話を聞いたことがある。
「旧盆の頃(沖縄の行事は太陰暦で行われる)に旅行をしたら、夏の観光シーズン真っ盛りであるにも関わらず、どの店も閉まっていた。土産を買うどころか、食事できる店も開いてない。儲けや観光客はそっちのけ。その一方で、各家庭ではたくさんの親戚が集まってご馳走を食べたり、念仏踊りを踊ったりと、明るい雰囲気の中で和やかにご先祖さまを供養していた」
最近では郊外だけの光景かもしれないが、沖縄の人にとっては家族や地域行事の方が、仕事よりもはるかにプライオリティが高いのだ。
営業などを通してたくさんのウチナーンチュー(沖縄の人)と出会い、ウチナー(沖縄)的な仕事スタイルを知るにつれ、だんだんとギャップが大きくなっていった。自分がやっているスピード重視の、東京式の仕事に対するギャップが…。
もっと沖縄の生活に深く関わりたい。もっと沖縄の人の心を知りたい。私の感じる沖縄を、私なりの表現で発信してみたい。
内地(沖縄から見た「本土」のこと。ウチナーの反対語)からのスタッフが大幅に増え、ビジネス拡大の一途をたどっていた職場は、もはや沖縄ではない気がした。
2004年が終わりに近づき、内なる欲求がピークに達しようとしていた頃、移住のきっかけにもなったプロジェクトに動きあるという話が舞い込んできた。 |
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| 金子美和 Kaneko
Miwa |
1973年10月22日生まれ。神奈川県出身。2004年1月末に沖縄本島へ移住(那覇市首里→中頭郡嘉手納町)。出版社勤務を経て、現在は衣食住の自給自足を目指す潟Aイランド・プロジェクトのスタッフとして活動中
Contact:
kaneko_miwa@yahoo.co.jp |
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| ヤシやアダン、ガジュマルなど、南国ならではの植物が心を癒してくれる |
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| 赤瓦の古民家は沖縄料理店などの店、ギャラリー等に改造されることが多い |
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| 海に囲まれた沖縄では、見たこともないカラフルな魚も食用されている |
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| チラガー(豚の顔)は市場の名物。精肉店にはいつも観光客がごった返す |
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| 那覇の雑踏の中でふと空を見上げたら、キレイな夕焼けが広がっていた |
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